事業性融資の推進等に関する法律(令和六年法律第五十二号)の大きな影響について

今回の内容は、2024年6月14日に公布された「事業性融資の推進等に関する法律」(令和六年法律第五十二号、以下「事業性融資推進法」という)について、その背景、目的、主要な規定、特に新たに創設された「企業価値担保権」の詳細、関係者への影響、施行状況、および今後の展望について専門的見地から徹底的な調査・分析を行うことを目的とする。

目次

事業性融資推進法の制定背景と目的

事業性融資推進法の意義

事業性融資推進法は、日本の事業性融資慣行に大きな変革をもたらす可能性を秘めた重要な法律である。その核心は、従来の不動産担保や経営者による個人保証への過度な依存から脱却し、無形資産を含む事業全体の価値(事業性)を評価し、それに基づいて融資を行うことを推進する点にある 9。この目的を達成するための中心的な法的メカニズムとして、全く新しい担保権である「企業価値担保権」が創設された。

立法背景

日本の金融実務においては、長年にわたり、企業向け融資、特に中小企業向け融資において、不動産を主たる担保とすること、および経営者個人による保証(経営者保証)を求める慣行が支配的であった 12。この融資慣行は、金融機関にとって債権保全の確実性を高める一方で、多くの課題を内包していた。

特に、有形資産に乏しい新興企業(スタートアップ)や、技術・ノウハウ・ブランドといった無形資産を事業価値の源泉とする企業にとっては、十分な資金調達が困難となる大きな障壁となっていた 9。また、経営者保証は、経営者個人のリスクを過大にし、思い切った事業展開や事業承継(後継者が保証を引き継ぐことへの懸念)、さらには早期の事業再生を躊躇させる要因となっていた 11

こうした状況を背景に、政府は「スタートアップ育成5か年計画」7 など、成長戦略の一環として、企業の事業内容や成長可能性を評価する「事業性評価に基づく融資」の推進を金融機関に促してきた 20。事業性融資推進法は、これらの政策的要請を法制度として具体化し、事業性融資を阻害してきた構造的な課題に対処しようとするものである。

改革の根拠

上記のような課題認識に基づき、事業性融資推進法は、中小企業やスタートアップの成長阻害、経営者保証による事業承継や事業展開の停滞、事業再生の遅延といった問題を解決することを目指している 11。

事業性融資推進法に定められた目的(第一条)

事業性融資推進法の第一条は、その目的を以下のように定めている。

  • 不動産を目的とする担保権又は個人を保証人とする保証契約等に依存した融資慣行の是正 12
  • 会社の事業に必要な資金の調達等の円滑化 12
  • 会社の事業の継続及び成長発展の支援 12
  • 国民経済の健全な発展への寄与 12

主な対象事業者

事業性融資推進法が特に裨益すると想定されているのは、以下のような事業者である 9。

  • 有形資産に乏しいスタートアップ
  • 無形資産を主体とする企業
  • 経営者保証が課題となっている事業承継局面にある企業
  • 事業再生に取り組む企業

政策転換の意義

事業性融資推進法の制定は、単なる金融制度の一部改正にとどまらず、日本の経済政策における根本的な転換を示唆している。すなわち、将来の経済成長が、従来の有形資産中心の産業構造から、イノベーションや無形資産によって駆動される知識集約型経済へと移行しつつあることを認識し、これに対応する形で金融システムを適合させようとする試みである。不動産担保や保証といった伝統的なリスク評価手法では捉えきれない事業の潜在力や将来性を評価し、資金供給を円滑化すること 9 は、経済構造の変化に対応するための必然的な要請とも言える。スタートアップや革新的な中小企業を主な対象として想定している点 9 も、この政策的意図を裏付けている。

主要な規定(企業価値担保権を除く)

A. 事業性融資の定義と基本原則

  • 「事業性融資」の定義(第二条): 事業性融資推進法における「事業性融資」とは、金融機関等から会社に対する貸付けのうち、不動産を目的とする担保権、または特定の個人保証契約等(主務省令で定めるものを除く)によって担保されず、または保証されないものと定義される 12。この定義により、事業性融資推進法が対象とする融資の範囲が画定される。
  • 基本理念(第三条): 事業性融資の推進等は、会社及び債権者(金融機関等)の相互の緊密な連携の下に、会社の事業の継続及び成長発展に必要な資金の調達等の円滑化に資することを旨として行われなければならないとされる 9
  • 国の責務(第四条): 国は、この基本理念にのっとり、事業性融資の推進に関する施策を総合的に策定し、及び実施する責務を有すると規定されている 9
  • 基本方針(第五条): 政府は、事業性融資の推進に関する基本的な方針(基本方針)を定めなければならないとされる 6

B. 事業性融資推進本部

  • 設置(第二百四十二条): 事業性融資の推進に関する施策を総合的かつ集中的に推進するため、金融庁に特別の機関として「事業性融資推進本部」が設置される 5
  • 目的: 事業性融資の推進に総合的かつ集中的に取り組むこと 9
  • 構成: 本部長は金融担当大臣が務め、本部員として経済産業大臣、財務大臣、農林水産大臣、法務大臣、その他内閣総理大臣が指定する国務大臣等が充てられる 9。関係省庁の連携を図る体制となっている。
  • 所掌事務: 基本方針の案の作成、事業性融資の推進に関する施策の企画・立案・推進、関係行政機関の事務の調整等を担う 9

C. 認定事業性融資推進支援機関

  • 目的(第二百三十二条): 事業性融資に関して高度な専門的知識・経験に基づき、事業者や金融機関等に対して助言・指導等の支援業務(事業性融資推進支援業務)を行う機関を国が認定する制度である 3。企業価値担保権の活用支援も含まれる。
  • 認定: 申請に基づき、主務大臣(内閣総理大臣及び経済産業大臣)が、業務遂行能力や体制等を審査し認定する 6
  • 期待される役割: 事業計画策定支援、財務分析、事業性評価に関する助言、企業価値向上に向けた指導、金融機関とのコミュニケーション円滑化などが想定される 15
  • 想定される担い手: 公認会計士、税理士、中小企業診断士、経営コンサルタント、地域金融機関等が想定されている 20

推進体制の構造的意義

政府内にハイレベルな推進本部を設置し、同時に現場レベルでの専門的支援を提供する認定機関制度を創設するという二元的なアプローチは、注目に値する。これは、長年にわたる金融慣行の変革という困難な課題に対して、トップダウンでの政策推進とボトムアップでの実務能力向上の両面から取り組む戦略を示している。推進本部 5 が関係省庁間の調整を含めた大局的な方針決定と政治的な推進力を担う一方で、認定機関 3 は、事業者(特に中小企業)が自社の事業価値を適切に評価・説明するための支援や、金融機関が新たな評価手法を導入・運用するための専門知識を提供することで、現場レベルでの具体的な課題解決を図る役割を期待されている。この構造は、政策目標の達成と実務上の障壁克服を同時に目指す、現実的なアプローチと言えるだろう。

企業価値担保権:詳細分析

A. 基本概念と目的(第六条~第八条)

  • 法的性質: 企業価値担保権は、民法上の典型担保権(抵当権、質権等)とは異なる、事業性融資推進法によって創設された新しい種類の「物権」である(第七条第四項)30
  • 目的: 会社の特定の債権(特定被担保債権)および不特定の債権(不特定被担保債権)を担保することを目的とし、個別の資産ではなく、事業全体の価値に基づいて資金調達を可能にすることを目指す 37
  • 伝統的担保との差異: 不動産等の有形資産に限定されず、のれん(Goodwill)、ノウハウ、顧客基盤といった無形資産や将来キャッシュフローを含む事業全体の価値を捕捉することを意図している点で、従来の担保権とは一線を画す 9

B. 担保目的財産の範囲(第七条)

  • 定義: 担保の対象となるのは、会社の「総財産」(将来において会社の財産に属するものを含む)である 2
  • 包含されるもの: 有形資産(土地、建物、機械設備、在庫等)に加え、無形資産(知的財産権、ブランド価値、顧客リスト、ノウハウ等)、営業権(のれん)、契約上の地位(労働契約等を含むが、当該契約の相手方の権利を害するものではない)、将来キャッシュフロー等が一体として含まれると解される 9
  • 制限: 他人の債務を担保するためには設定できない(物上保証の禁止、第十三条第一項)17

C. 設定要件(第八条、第十五条、第三十二条~第三十八条、第六十条~第六十四条)

  • 信託契約の必須性: 企業価値担保権の設定は、債務者(会社)を委託者とし、主務大臣の免許を受けた「企業価値担保権信託会社」を受託者(兼担保権者)とする「企業価値担保権信託契約」を締結することによってのみ可能である 1
    • 信託会社の免許要件(第三十三条): 財産的基礎、人的構成(知識・経験・社会的信用)、兼業リスク等を考慮して免許が付与される 30
    • 関係者の役割: 債務者(委託者)、信託会社(受託者・担保権者)、融資を行う金融機関等(受益者)という三者構造が基本となる 17
  • 商業登記(第十五条): 企業価値担保権の得喪及び変更は、債務者の本店所在地における商業登記簿への登記が効力発生要件(対抗要件ではない)とされる。登記によって第三者に対する効力が生じ、担保権の順位も原則として登記の先後によって定まる 1
  • 信託契約の内容(第八条): 信託契約には、受益者(被担保債権者)、被担保債権の範囲、信託報酬等を記載しなければならない 38
  • 極度額(第九条): 特定の継続的取引契約から生じる債権等、変動する債権額を担保するために、担保される債権の上限額(極度額)を定めることができる。極度額は債務者がいつでも指定できる 10

D. 法的効力、優先順位、制限(第十六条~第二十九条)

  • 優先順位(第十六条、第十七条、第十八条): 同一会社に対する複数の企業価値担保権間の優先順位は、登記の前後によって決まる。他の担保権(抵当権、質権、先取特権等)との優先関係については、登記・対抗要件具備の先後を基本としつつ、詳細な調整規定が設けられている 2
  • 債務者による財産の使用・処分権(第二十条): 債務者は、企業価値担保権設定後も、担保目的財産を「通常の事業活動の範囲内」で使用、収益、処分する権限を有する 36。これにより、事業継続が担保される。
  • 債務者の行為制限(第二十条): 定款所定の目的や取引通念に照らして「通常の事業活動の範囲を超える」行為(例:事業譲渡、重要な資産の処分等)で、担保価値を毀損する恐れのあるものは、原則として全ての企業価値担保権者(信託会社)の同意を得なければ無効となる。ただし、善意無重過失の第三者には対抗できない 14
  • 経営者保証の制限: 企業価値担保権を活用した融資においては、原則として経営者保証を徴求することが制限される(ただし、債務者の不正行為等の例外あり)9
  • 元本確定(第二十七条~第二十九条): 被担保債権の元本額が確定する事由(例:担保権実行の申立てと開始決定、債務者の破産手続開始決定等)が定められている。元本確定により、それ以降に発生する債権は原則として担保されなくなる 7

E. 実行手続(第七十条~第二百十五条)

  • 開始申立て(第八十三条~第八十六条): 被担保債権の弁済遅滞等、法定の事由が発生した場合、担保権者である信託会社が、受益者(金融機関等)の指図に基づき、管轄裁判所に実行手続開始の申立てを行う。原則として最先順位の企業価値担保権者のみが申立て可能 2
  • 裁判所の監督と管財人の選任(第八十七条~第百二十六条): 裁判所は申立てを審査し、開始決定を行うとともに、債務者の事業経営及び財産管理処分権を有する管財人を選任する。管財人は、裁判所の監督下で職務を行う 2
  • 事業継続原則(第百五十七条): 実行手続中も、管財人は可能な限り事業を継続し、企業価値の維持・向上を図ることが求められる 9
  • 換価方法(第百五十七条~第百六十三条): 担保目的財産の換価は、原則として「営業又は事業の譲渡」によって行われる。これは、事業を一体としてスポンサー等に承継させることを目指すものであり、裁判所の許可が必要となる。個別の財産売却による換価は、事業譲渡が困難な場合の例外的な方法と位置付けられている 9
    • 事業譲渡の許可にあたり、裁判所は労働組合や配当を受ける債権者の意見を聴取しなければならない 9
  • 債権の優先順位(共益債権等)(第百二十七条~第百三十一条、第百六十四条~第百六十八条): 換価代金は、まず手続費用、次に「共益債権」の弁済に充てられる。共益債権には、管財人の報酬のほか、事業継続に必要な費用(実行手続開始後の従業員給与、不可欠な取引債務等)が含まれ、企業価値担保権よりも優先される。これは、事業継続と円滑な事業譲渡を支えるための重要な規定である 2
  • 配当(第百六十四条~第百八十八条): 残余の換価代金は、企業価値担保権によって担保される債権(特定被担保債権)を有する受益者(金融機関等)に配当される。劣後債権の扱いや、一般債権者のために配当原資の一部を留保する「カーブアウト」(不特定被担保債権留保額)に関する規定も存在する 2
  • 倒産手続との関係(第百九十五条~第二百十五条、第二百二十七条~第二百三十一条): 債務者について破産、民事再生、会社更生といった倒産手続が開始された場合、企業価値担保権は原則として別除権(更生手続では更生担保権)として扱われるが、実行手続と倒産手続が競合する場合の調整について詳細な規定が置かれている。多くの場合、企業価値担保権の実行手続における管財人の管理処分権が優先される 2

F. 担保権の消滅(第三十条、第三十一条、第百九十一条)

  • 弁済による消滅(第三十条): 元本確定後、被担保債権の全部が弁済等により消滅したときは、企業価値担保権も消滅する 1
  • 実行手続終了による消滅(第百九十一条): 実行手続が配当の終了等により終結した場合、または裁判所により廃止決定が確定した場合に消滅する 10
  • 消滅時効(第三十一条): 企業価値担保権は、担保する被担保債権と同時でなければ、時効によって消滅しない 1

G. 既存担保権との比較

企業価値担保権の特性を理解するため、既存の代表的な担保権である不動産抵当権および企業担保権(企業担保権に関する法律、昭和33年法律第106号)47 と比較する。

特徴企業価値担保権 (事業性融資推進法)不動産抵当権 (民法等)企業担保権 (旧法)
担保対象資産会社の総財産(有形・無形、将来財産、将来CF含む)2特定の不動産会社の総財産(ただし、構成財産は限定的で、無形資産等の価値を捉えにくい)37
設定・公示方法信託契約+商業登記 30設定契約+不動産登記設定契約(公正証書)+商業登記 47
債務者の財産処分権通常の事業活動の範囲内は自由。範囲外は担保権者同意必要 36原則自由(ただし価値毀損行為は制限される可能性あり)一定の制限あり
実行方法裁判所監督下の管財人による事業譲渡が原則(事業継続重視)9競売による売却が原則裁判所監督下の管財人による管理・換価(個別財産売却も多い)
優先弁済の範囲手続費用、共益債権(賃金・取引債権等含む)が優先。カーブアウト規定あり 2手続費用、劣後しない他の担保権等が優先手続費用、優先債権等が優先
主な利用場面スタートアップ、無形資産主体企業、事業承継、事業再生、プロジェクトファイナンス等 13不動産を保有する企業の一般的な資金調達活用場面は限定的(制度上の限界指摘あり)37
課題評価の困難性、制度の複雑性・コスト、市場認知度 10担保価値の変動リスク、有形資産への依存担保対象の限定性、手続の煩雑さ等 37

この比較から、企業価値担保権は、担保対象の範囲の広さ、事業継続を重視した実行手続、無形資産価値の取り込みといった点で、既存の担保権とは明確に異なる特徴を持つことがわかる。一方で、その新規性と複雑さが、実務上の課題となる可能性も示唆される。

実行手続の含意

企業価値担保権の実行手続が、単なる債権回収プロセスではなく、事業再生の色彩を帯びている点は重要である。裁判所の監督、専門家である管財人の選任、労働者や取引債権者といった利害関係者への配慮、事業譲渡による雇用の維持努力 1 は、担保権実行に伴う社会的・経済的な負の影響を最小限に抑えつつ、価値ある事業を次世代に承継させることを目指す設計思想を反映している。しかし、この丁寧なプロセスは、従来の担保権実行(例:不動産競売)と比較して、時間とコストが増大する可能性がある 10。このトレードオフを実務上どのように管理していくかが、制度定着の鍵となるだろう。

信託構造の役割

企業価値担保権の設定に信託構造を必須としたこと 30、そして実行申立てを(受益者の指図に基づくものの)信託会社が行うこととした点 17 は、単なる形式的な要件以上の意味を持つ可能性がある。信託会社は免許を受けた専門業者であり、受託者として善管注意義務を含む法的義務を負う 2。これにより、担保権の実行が、単に債権者の回収最大化のみを目的とするのではなく、法に定められた手続に従い、企業価値全体の維持・最大化という観点(利害関係者への配慮を含む)から、より客観的かつ慎重に進められることを担保する機能が期待されているのかもしれない。貸し手による性急な、あるいは濫用的な担保権行使を抑制し、事業継続可能性を最大限追求するという法の趣旨を実現するための一つのメカニズムと解釈できる。ただし、この構造がもたらす実務上の負担やコスト 10 は、依然として考慮すべき点である。

影響と期待される効果

A. 企業(特に中小企業、スタートアップ、M&A、事業再生)にとって

  • 機会:
    • 資金調達機会の拡大: 不動産等の有形資産を持たない、あるいは少ない企業(スタートアップ、IT企業、サービス業等)にとって、事業の将来性や無形資産を評価されることで、従来よりも資金調達が容易になる可能性がある 9
    • 経営者保証負担の軽減: 企業価値担保権の利用により、経営者保証への依存度が低下することが期待される。これにより、経営者の個人的リスクが軽減され、事業承継が円滑化したり、より積極的な事業展開が可能になったりする可能性がある 13
    • 柔軟な融資条件: 将来の成長性やキャッシュフロー創出力が評価されることで、企業のライフサイクルに応じた、より柔軟な融資条件(返済期間、金利等)が期待できるかもしれない 11
    • M&A・事業再編の促進: M&Aにおける買収資金調達や、事業再生局面での資金繰り支援等、特殊な資金ニーズに対応する手段として活用される可能性がある 27
  • 課題:
    • 情報開示と事業計画: 企業価値を評価してもらうためには、事業計画の策定能力、財務状況や事業内容に関する透明性の高い情報開示が不可欠となる 15
    • 評価の困難性とコスト: 自社の無形資産を含む企業価値を客観的に評価し、金融機関に説明することは容易ではなく、専門家の支援が必要となる場合もあり、コスト負担が生じる可能性がある 10
    • 制度の複雑性: 信託構造や登記、実行手続など、法制度自体が複雑であり、理解と対応に専門的な知識が必要となる 10
    • 信用のシグナル効果: 企業価値担保権の登記が、取引先等から信用不安の兆候と受け取られるリスクも懸念される 19
    • 利用可能な金融機関: 制度開始当初は、対応できる金融機関が限られる可能性がある 14

B. 金融機関にとって

  • 求められる対応と機会:
    • 事業性評価能力の向上: 不動産等の物的担保評価に加えて、事業モデル、技術力、市場での競争力、経営陣の能力、将来キャッシュフローといった事業性・無形資産を的確に評価する能力(「目利き力」)の向上が不可欠となる 15
    • 伴走支援型リレーションシップバンキング: 融資実行後も、債務者の事業状況を継続的にモニタリングし、経営課題に対して助言や支援を行う「伴走支援」型の関係構築がより重要になる 15
    • サービス差別化: 事業性評価に基づく融資や企業価値担保権を活用したソリューションを提供することで、他行との差別化を図り、顧客との長期的な関係を構築する機会となり得る 31
    • リスク管理体制の見直し: 新しい担保権に対応した信用リスク評価モデル、融資審査プロセス、債権管理、引当金計上に関する内部規程等の見直しが必要となる可能性がある 46
  • 課題:
    • 人材育成とツール導入: 事業性評価や無形資産評価に関する専門知識を持つ人材の育成、新たな評価ツールやシステムの導入には相応の投資が必要となる。
    • 制度・手続の複雑性への対応: 信託会社との連携、登記実務、複雑な実行手続への対応など、オペレーション上の負担が増加する可能性がある 17
    • 既存の融資文化の変革: 担保・保証に依存してきた従来の与信判断プロセスや組織文化を変革するには、時間と労力を要する可能性がある 31
    • 健全性規制との整合性: 企業価値担保権付融資のリスク評価や自己資本比率規制上の取り扱い、引当金の計上基準等について、監督当局との間で明確な指針や共通認識を確立する必要がある 46

中小企業における格差の可能性

事業性融資推進法は中小企業の資金調達円滑化を主眼とするが、その恩恵を享受できる企業とそうでない企業との間で、新たな格差が生じる可能性も否定できない。企業価値担保権を活用するには、自社の事業価値(特に無形資産)を定量・定性的に評価し、説得力のある事業計画とともに金融機関に提示する必要がある 14。これには、相応の経営管理能力、情報開示体制、場合によっては外部専門家(認定支援機関等)の活用 20 が求められる。こうした対応が可能な、比較的経営基盤が整っている、あるいは成長意欲の高い中小企業は新たな資金調達手段を得られる一方で、日々の経営に追われ、事業価値の可視化や計画策定に十分なリソースを割けない企業にとっては、新制度の活用は依然としてハードルが高い可能性がある 19。結果として、事業性融資推進法の意図とは裏腹に、中小企業間での資金調達力の格差が拡大する可能性も考慮する必要がある。

金融機関における役割の変化と潜在的利益相反

事業性融資推進法が金融機関に求める「伴走支援」15 は、単なる融資実行後のモニタリングを超え、経営助言やコンサルティングに近い役割を期待するものである。これは、金融機関が顧客企業の事業に深く関与し、リスクを共有しながら共に成長を目指すという、より付加価値の高い関係性を構築する機会を提供する。しかし、この深い関与は、金融機関の立場に潜在的な利益相反をもたらす可能性もある。例えば、金融機関が提供する経営アドバイスが、無意識のうちに、自らの債権保全(担保価値の維持)を最優先する方向に偏るリスクがないとは言えない。これは、企業の長期的な成長戦略や他の利害関係者の利益と必ずしも一致しない場合があり得る。金融庁のガイドライン案でも、取引上の優越的地位の濫用防止に言及している点 40 は、こうした懸念を反映しているとも考えられる。金融機関は、伴走支援を行うにあたり、その役割の境界線を明確にし、倫理的な配慮と透明性を確保するための内部体制を整備することが求められるだろう。

施行状況と規制ガイダンス

  • 制定・公布・施行時期: 事業性融資推進法は2024年6月7日に成立、同月14日に公布された。施行日は、公布の日から起算して2年6月を超えない範囲内において政令で定める日とされており、遅くとも2026年12月13日までに施行される予定である 1
  • 施行準備: 現在、政府(金融庁、経済産業省、法務省、財務省、農林水産省等)において、事業性融資推進法の施行に必要な政令、内閣府令・主務省令、および詳細なガイドライン等の策定作業が進められている 4
  • 金融庁ガイドライン(案): 金融庁は、2025年4月18日付で「事業性融資の推進等に関する法律等に関する留意事項について(事業性融資の推進等に関する法律等ガイドライン)」(案)を公表し、パブリックコメントを募集した 58
    • 主な内容: このガイドライン案は、事業性融資推進法の解釈(担保目的財産の範囲、実行手続の原則等)、金融機関に期待される行動規範(事業性評価の実施、継続的なモニタリングと伴走支援、企業価値担保権の適切な活用)、特に担保権実行時における労働者保護に関する考え方等を示している 40
    • 関連監督指針改正: 主要行等向けおよび中小・地域金融機関向けの総合的な監督指針の一部改正案も併せて示されている 58
    • 会計・引当: 企業価値担保権付融資に係る会計処理や引当金の考え方については、引き続き関係業界団体等と議論する方針が示されている 46
  • 関係者の準備: 事業性融資推進法の円滑な施行と活用に向けて、金融機関、企業、法律・会計等の専門家、信託会社となる可能性のある事業者等は、法制度の内容を深く理解し、内部体制の整備や人材育成、新たな評価手法の開発等、必要な準備を進めることが求められている 14

施行準備期間の意義

公布から施行まで最大2年半という比較的長い準備期間が設けられていること 1 は、事業性融資推進法がもたらす変化の大きさ、および実務への影響の甚大さを物語っている。金融機関にとっては、単に新しい融資商品を追加するのではなく、与信判断の哲学そのものを見直し、事業性評価能力 15 や伴走支援体制を抜本的に強化する必要がある。これには、行員の研修、評価モデルやリスク管理システムの改修、信託会社との連携体制構築など、多岐にわたる準備が必要となる 46。企業側も、自社の事業価値、特に無形資産を可視化し、説得力のある形で提示するための準備が必要となる 19。規制当局も、詳細な施行規則やガイドラインを策定し、市場の混乱を避けつつ新制度の円滑な導入を図る必要がある。この準備期間は、関係者全員が新しい枠組みに適応するための、不可欠な移行期間と位置づけられる。

課題と今後の展望

主要な課題:

  • 価値評価の確立: 企業価値、特に無形資産や将来キャッシュフローを客観的かつ信頼性をもって評価する標準的な手法が確立されていない点。評価のばらつきや恣意性が懸念される 10
  • 市場の認知度と受容性: 新しい担保権に対する事業者・金融機関双方の理解がまだ浅く、特に中小企業における認知度は低い。利用への心理的抵抗感や、評価基準不明確による慎重姿勢も見られる 13
  • 制度の複雑性とコスト: 信託構造の採用、登記、実行手続等が複雑であり、専門家費用や信託報酬等のコスト負担が利用の障壁となる可能性がある 10
  • 金融機関の対応能力: 全ての金融機関が、事業性評価や企業価値担保権に関する専門知識・ノウハウを短期間で習得し、適切なリスク管理体制を構築できるか不透明である 15
  • 情報非対称性と開示負担: 企業価値評価に必要な詳細な事業情報の開示が、企業にとって負担となる、あるいは機密保持上の懸念を生じさせる可能性がある 19
  • 法制度間の整合性: 倒産法制や他の担保権との関係など、既存の法体系との間で実務上の整合性を確保していく必要がある 2

課題解決への方向性

  • 認定支援機関の活用: 専門家である認定支援機関が、評価支援、計画策定支援、金融機関との橋渡し役を担うことで、知識・ノウハウのギャップを埋めることが期待される 13
  • ベストプラクティスと標準化: 業界団体や規制当局が連携し、価値評価や契約実務に関するガイドラインやベストプラクティスを共有・開発することが望まれる 46
  • 広報・教育活動: 政府や関係機関による積極的な広報活動や、事業者・金融機関向けの研修等を通じて、制度の理解促進を図る必要がある 19

今後の展望

  • 資金調達の多様化: 特にイノベーションを担う新興企業や、無形資産を強みとする企業にとって、新たな資金調達の選択肢が広がり、成長を加速させる可能性がある 10
  • 金融機関と企業の関係深化: 融資審査やモニタリングを通じて、金融機関が企業の事業内容により深く関与するようになり、単なる資金提供者を超えた、より協調的・伴走型のパートナーシップが育まれる可能性がある 15
  • 制度の進化: 施行後の実務運用を通じて明らかになる課題に対応するため、将来的には、事業単位での担保設定を可能にするなど 43、制度の見直しや改善が行われる可能性も考えられる。

成功に向けたエコシステムの重要性

企業価値担保権が真に有効な資金調達手段として定着するか否かは、法制度そのものの精緻さだけでなく、それを支える「エコシステム」の成熟度にかかっていると言える。具体的には、信頼性の高い価値評価を行える専門家(評価人)、複雑な信託・実行手続を適切に遂行できる信託会社、事業者と金融機関双方に的確な助言を提供できる認定支援機関、そして、この新しい担保権付融資を流通させる、あるいは借り換えを可能にするような二次市場や金融インフラの整備が不可欠である。法は枠組みを提供するが、その実効性は、これらの周辺機能がどれだけ発展し、円滑に機能するかに大きく依存する 19。官民が連携し、このエコシステム全体を育成していく視点が、今後の制度普及において極めて重要となるだろう。

まとめ:事業性融資推進法の大きなインパクト

事業性融資推進法は、日本の企業金融における長年の課題であった不動産担保・経営者保証への依存体質を是正し、企業の真の価値、すなわち事業性や将来性に着目した融資を促進することを目的として制定された。その中核をなすのが、無形資産を含む企業の総財産を一体として担保対象とする、全く新しい担保権である「企業価値担保権」の創設である。

潜在的インパクト

事業性融資推進法及び企業価値担保権は、適切に活用されれば、特に有形資産に乏しいスタートアップや成長企業、事業承継・再生局面にある企業にとって、資金調達の選択肢を大きく広げる可能性を秘めている。また、金融機関に対しては、事業性評価能力の向上と伴走支援体制の強化を促し、より質の高いリレーションシップバンキングへの転換を後押しすることが期待される。これは、日本の産業構造の変化に対応し、イノベーションと持続的成長を支える金融システムの構築に向けた重要な一歩となり得る。

今後の課題と展望

しかしながら、この変革を実現するには、多くの課題を克服する必要がある。企業価値、特に無形資産の評価手法の確立、新しい法制度・実務に対する関係者の理解と習熟、信託構造や実行手続の複雑性・コストへの対応、金融機関における与信文化の変革、そして制度を支えるエコシステムの構築などが、今後の重要な論点となる。

まとめ:金融機関、企業、専門家の努力と強調が重要

事業性融資推進法によって、事業価値に基づく金融への道筋は示された。しかし、その道が広く、多くの企業にとって利用しやすいものとなるか否かは、これからの関係者、すなわち政府、金融機関、企業、そして専門家たちの継続的な努力と協調にかかっている。法制度の施行はゴールではなく、日本の企業金融を未来志向へと転換させるための新たなスタートラインである。その成否は、今後の実務運用と、それに伴う制度・慣行の進化によって決まるであろう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

長年大手電機メーカーで培った技術と市場洞察を活かし、中小企業診断士として独立後15年、経営コンサルタントとして成長戦略と課題解決を支援。しかし、事業性評価に基づく資金調達の難しさに課題を感じ、「事業性評価ツールマガジン」を構想。この情報サイトが、中小企業経営者や金融機関、支援者の皆様の未来を拓く一助となれば幸いです。

目次